ウィーンを発った便がマルコ・ポーロ空港に降りたのは、18時40分だった。
水の都に着いたなら、まっすぐ本島へ——とはならなかった。この旅の宿は、ヴェネチア本島ではない。初日はパドヴァ、二日目はメストレ。無数の橋と階段が続く街を、荷物を持って歩き回るより、本島の外に拠点を置いて身軽に通う。そのほうが、自分の旅には合っている。
手荷物ひとつ(Billingham)と、身の回り品ひとつ(Brady AVON)。荷物はこの二つで完結している。都市から都市へはBillinghamを提げて運び、街を歩くあいだはBrady AVONだけを肩にかける。それが、私の旅のスタイルだ。
クアラルンプール→ロンドン→プラハ→ウィーン→ヴェネツィア→バルセロナ。6都市を渡る旅の記録は、こちらのルート記事にまとめている。この記事はその5章目、ヴェネチアの2泊3日について書く。
階段の街へ入る前に、パドヴァの夜
空港からバスに乗り、向かったのはパドヴァだった。
駅に着いたのは、陽がまだ残る夕方だった。ロータリーにはシェアサイクルとキックボードが並び、大きなスーツケースを転がす旅行者が石畳を鳴らして通り過ぎていく。こちらは手と肩に鞄がふたつ。転がすものが何もないだけで、歩き出す足取りははじめから軽い。

駅からホテルまでは、写真を撮りながら歩いた。西日に染まるアーケード、淡く色づいた古い建物が肩を寄せ合う通り、運河に架かる石造りの太鼓橋。水面が金色に揺れて、パドヴァという街が思っていたより静かなことに気づく。観光地の喧騒から一歩引いた、生活の時間がそこに流れていた。

この日の宿は、ヒルトン・ガーデン・イン・パドヴァ・シティセンター。チェックインを済ませ、シャワーを浴びて少しのんびりする。壁には、セピア調の街並みを写した額が並んでいた。旅の移動日は、こうして一度リセットする時間が要る。

日が落ちてから、もう一度街へ出た。石畳の路地に街灯がともり、昼とは違う濃さの影が落ちている。人通りの引いた通りを歩きながら、シャッターを切る。

ひとしきり撮って部屋に戻り、窓の外を見下ろすと、一軒の店に列ができていた。気になって調べると、ジェラテリア・ラ・ロマーナ(La Romana dal 1947)だった。イタリアに来てジェラートを食べないという選択肢は、自分の中になかった。
迷わず外へ出て、列に並ぶ。下からピスタチオ、チョコレート、いちばん上に生クリーム。三段の頂きには、小さな家の形をしたウエハースが載っていた。部屋に持ち帰って食べたそれは、この旅の最初の記憶として、静かに残っている。

通り過ぎるには惜しい、パドヴァという街
ヴェネチア本島から電車で30分ほど。多くの旅行者が素通りしていくこの街に、あえて一泊を置いた。パドヴァは、ヨーロッパでも指折りに古い大学を持つ学問の街として知られ、ジョットが壁画を残した礼拝堂もある。今回はどちらにも立ち寄っていないが、それでも街を歩くだけで、積み重なった時間の層が伝わってくる。
翌朝、朝食の前に旧市街を歩いた。
ヒルトン系列に泊まるとき、朝食は急がなくていい。ゴールドステータスがあれば無料で付くから、先に街の朝を撮りに出られる。もともと眠りが短く、朝は放っておいても早く目が覚める。朝食会場が開くより先に街へ出るのは、旅先でのいつものことだ。
人けのない石畳の路地に、朝の光がまっすぐ差し込んでいた。塔に向かって伸びる通りを、誰にも会わないまま歩く。

ふと壁を見ると、黒いシルエットの人物が、手にした杖の先から色とりどりの蝶を放っているように見えた。パドヴァの路地に点在する、ケニー・ランダムの壁画のひとつだ。観光名所の合間に、こうした街の素顔がまぎれている。

別の壁には、白い石板がはめ込まれていた。詩人ダンテの名と、1306という年号。政争と報復がダンテをこの街へ導き、カラーラ家とジョットのおかげで、その亡命はいくらか穏やかなものになった——石板にはそう刻まれている。何気ない道の角に、こうした時間の層がそのまま残っているのが、この街の奥行きだ。

路地を抜けた先に、聖アントニオ大聖堂が現れた。いくつものドームと鐘楼が折り重なる姿は、遠目にもこの街の中心だとわかる。朝の巡礼者もまだ少なく、広場は静けさを保ったままだった。

広場に出ると、市場が店を開けはじめていた。花を並べる屋台、荷を下ろすバン。観光地の顔ではない、生活の時間がゆっくりと動き出していく。

ビリンガムを預け、身ひとつで本島へ
ホテルに戻ると、朝食の時間になっていた。ゴールドステータスの特典で付いた朝食を済ませ、支度をしてチェックアウト。電車でメストレ駅へ向かう。
メストレでは、まずその日の宿へ向かった。ヒルトン・ガーデン・イン・ベニス・メストレに、Billinghamを預ける。ここが、この旅のいちばん身軽になる瞬間だ。都市間を運んできた鞄を置き、Brady AVONひとつを肩にかけて、本島へ発つ。
水の上の一日と、一人で味わう限界
バスに揺られてサンタ・ルチアへ。車の一台も走らない街の玄関口に立つと、ここから先はすべて水と橋の世界だ。首から下げたα6400には、18-135mmのズームを一本。広角から望遠まで、これ一本で街の大半に応えてくれる。レンズを替える手間から解放されている身軽さが、そのまま足取りの軽さになる。
駅を出てすぐのガラス張りの橋から、大運河を見渡した。緑青のドームが陽を受けて輝き、ヴァポレットが行き交う。これから歩き尽くす街の、最初の一望だった。

そこから先は、まず定番のルートをたどった。遠くに鐘楼が見え、広場が観光客であふれているのがわかる。じっくり見るのは後にして、ひとまず先を急いだ。
そのまま歩き続けると、アッカデミア橋のたもとに出た。金の装飾を纏ったゴンドラが並んでいた。橋を渡る観光客の足音、水面に浮かぶ船の列。ここもまた、誰もが一度は歩く道だ。

昼はLa Piazzaで。運ばれてきたのは、イカ墨のパスタ。艶やかな黒に、バジルの葉が一枚。

隣の卓には、赤ちゃん連れの夫婦がいた。食べる手を止めるたび、赤ちゃんがこちらをじっと見ている。目が合うと、夫婦もこちらも思わず笑った。言葉は何も交わさなかったが、それだけで十分だった。
締めはティラミス。カットの入ったガラスのココットの中で、マスカルポーネとコーヒーが層をなし、頂きにはたっぷりのカカオパウダー。イタリアに来たことを、この一皿があらためて教えてくれる。

食後は、あらためてサン・マルコ広場へ向かった。鐘楼と大聖堂を囲むように、観光客が幾重にも重なっている。写真だけで見知っていた景色に、実際に立つ。人の多さに気圧されながらも、この街の顔として名高い理由は歩けばわかる。

大聖堂の正面には、四頭のブロンズの馬が、今にも駆け出しそうな姿で据えられていた。近づいて見上げると、装飾の密度に圧倒される。

広場を抜けると、ドゥカーレ宮殿の続く先に、観光客でにぎわう橋が架かっていた。奥にはクレーンが伸び、修復と観光がひとつの街の中で同居している。

そこからリアルト橋へ向かった。橋の上から見る大運河は、赤い日除けの並ぶ店先とともに、絵葉書そのものの景色だった。橋を渡った先のリアルト市場は、露店と人で埋め尽くされている。


市場の先で、菓子店のショーウィンドウに足が止まった。カンノーリが山のように積み上げられ、ピスタチオやチョコレートで彩られている。時刻は午後2時過ぎ。歩き詰めだった足を、ガラス越しの甘いものが少しだけ休ませてくれた。

サン・マルコからリアルトまで、ひととおり有名な場所を見て回ってから、あえて有名なルートを離れた。
蔦に覆われた小さな橋が、運河の上に静かに架かっていた。観光客の声はここまで届かない。

少し歩くと、窓辺に赤い花が飾られ、洗濯物が揺れる細い運河に、名前もわからない小さな橋が架かっていた。効率を求めず、水の流れに合わせて歩くだけの時間だ。

狭い運河を、ゴンドラが静かに進んでいく。船頭の櫂の音だけが響く、生活の気配が残る一角だった。

チェックインできる時刻になり、一度メストレのホテルへ戻る。
白いリネンが整えられたベッドの脇に、Billinghamを下ろした。紫のベンチに、都市を渡ってきたBillinghamと、ここまで一日中肩にかけていたBrady AVONが並ぶ。二つの鞄がひとつの場所に揃うのは、一日の中でこの瞬間だけだ。

よく晴れた日で、気温も高かった。天気に恵まれるのはありがたいが、汗だくで歩き回るはめにもなる。うれしい悲鳴というやつだ。歩き詰めだった一日の汗を、シャワーで流す。それだけで、身体がもう一度、夕方のヴェネチアへ向かう準備を整えてくれた。
支度を終え、バスでふたたび本島へ向かう。今度は、ヴァポレットで水路を行くことにした。
夕方の大運河は、昼とは別の街のようだった。ヴァポレット(水上バス)のデッキに立ち、建物の壁が金色の光を受けていくのを眺める。行き交う船、水面に伸びる影。急ぐ理由のない移動は、それ自体が贅沢だ。
夕方の大運河沿いに、大きな教会が見えてきた。逆光に輝くファサードの足元には、ゴンドラ乗り場の案内が立っている。

少し進むと、別の教会のドームが夕陽を受けて金色に染まっていた。船が静かに係留されている。

石畳の路地にも、同じ光が差し込んでいた。長く伸びる影と、逆光の中を歩く人影。観光客の姿はまばらになっていた。

ディナーはRistorante Due Fratelliで、シーフードパスタとピッツァ。運ばれてきたのは、ムール貝とスキャンピ、海老がたっぷりのったスパゲッティ。もう一皿は、シンプルなマルゲリータだった。ここで、一人旅のささやかな難しさにいつも突き当たる。あれもこれも頼みたくても、一人で食べきれる量には限りがある。テーブルに並べられる料理の数だけが、同行者のいない旅の、静かな制約だ。それでも、選んだ二皿を最後まで味わう時間は嫌いではない。


食べ終えた頃、店員がデザートはどうかと聞いてきた。気持ちはわかるが、パスタとピッツァを平らげた後にそれだけの余力はなかった。丁重に断り、店を出た。
腹ごなしに、夜のヴェネチアをもう一度歩いた。観光客の減った路地は昼より暗く、水の匂いが濃い。当てもなく歩いていると、いつのまにかリアルト橋のたもとに出ていた。三日月が橋の上に低く浮かび、行き交う人と水上バスの明かりが水面に映り込んでいた。

細い路地に迷い込むと、「HOTEL PANTALON」の看板だけが浮かび上がっていた。この時間になると、観光客の足音もまばらになる。

最後に辿り着いたカンポ・デイ・トレンティーニ周辺は、灯りの落ちた店と、まだ開いているバーカレットだけが人の気配を残していた。ひとしきり撮って、メストレのホテルへ戻る。

最終日、そして空港での代償
三日目。飛行機は13時発だった。
朝はホテルのジムで軽く身体を動かし、朝食をとる。旅の最終日をこうして整えてから発つのが、自分のリズムになっている。

チェックアウトを済ませ、空港行きのバスに乗り込んだ。
——そして、この移動でひとつの事件が起きた。ヴェネチアの決済ルールを甘く見た代償を、空港で支払うことになる。その顛末は、別に書き残している。同じ失敗を避けたい人は、こちらを読んでおいてほしい。

授業料を払い終え、便に乗り込む。二時間ほどのフライトのあいだ、ヴェネチアで過ごした二泊三日をぼんやりと思い返していた。パドヴァの夜のジェラート、朝の市場、有名な広場の人混み、裏路地の静けさ、そして最後の失敗談。着陸態勢に入り、窓の外に目をやると、地中海に面した知らない街並みが広がっていた。

この旅で使ったもの
eSIM 5カ国目の到着で、すでに切り替え済みだった。空港を出た瞬間から地図が動く。それだけで、旅の最初の緊張が一つ消える。 👉 KlookのeSIMで現地通信を整える
クレジットカード ヴェネチアでは、食事も移動も、最終日の罰金の支払いさえも、カードで完結した。一枚に頼り切らず複数枚を使い分けることが、海外での逃げ道になる。
カメラ α6400 + 18-135mm。この旅での主力レンズ。ズームの自由度は高く、路地から大運河まで一本で応えてくれた。運河の広がりをもっと収めたいという物足りなさは、次の旅への宿題になった。
橋を越えるたび、身軽であることの意味を思う。
大きな鞄を本島の外に置いて、パドヴァとメストレを拠点に、Brady AVONひとつで水の都を歩いた二泊三日。泊まった場所は観光地図の中心から外れていたが、そのぶん静かな朝と夜が手に入った。効率のいい旅ではなかったかもしれない。それでも、記憶に残るものは多かった。
次の目的地はバルセロナだ。



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