2025年、クアラルンプールを起点に、ロンドン、プラハ、ウィーン、ベネチア、バルセロナと6カ国を周遊した。スーツケースは使わず、Billingham CANVAS 305とBrady AVONの2つのバッグだけを連れて歩いた旅だった。
同じ「周遊」でも、街ごとに旅の性格はまるで違った。石段を上る朝もあれば、宮殿の庭園を歩く午後もあった。水の上を移動する街もあれば、最後の夜を空港で過ごす街もあった。飛行機でつないだ区間もあれば、バスで国境を越えた区間もある。
ひとつの街だけを深く書いた記録は、それぞれの個別記事に残してある。ここでは、その6つの街をどうつないだか、移動と移動のあいだに何を選んできたか、そして旅を終えたあとに何が残ったかを、一本の線としてまとめておく。
6つの街をつないだルート
羽田からクアラルンプールへ入り、ロンドン、プラハ、ウィーン、ベネチア、バルセロナを経て日本へ戻る。今回のルートはこうだった。
- 羽田 → クアラルンプール:AirAsia
- クアラルンプール → ロンドン:Malaysia Airlines
- ロンドン(ルートン)→ プラハ:Wizz Air
- プラハ → ウィーン:Omioで予約したFlixBus
- ウィーン → ベネチア:Austrian Airlines
- ベネチア → バルセロナ:Wizz Air
- バルセロナ → ローマ → 羽田:ITA Airways
LCC、フルサービスキャリア、バスを組み合わせながら、6つの街をつないでいった。空路だけでなく陸路を挟んだのは、プラハからウィーンの区間だ。すべてを同じ移動手段で揃えず、区間ごとに違う移動が混ざっていた。
クアラルンプール。旅の入口になった2泊
ロンドンへ直接向かうのではなく、まだ行ったことのない街をひとつ挟んでから向かいたいと考えていた。いくつかの経路を見比べ、その中で料金面の条件もよかったクアラルンプールに2泊してからロンドンへ向かうことにした。
早朝に到着し、そのまま街へ出た。272段の石段を上ったバトゥ洞窟、BACHA COFFEE。2泊すると決めた時点で、この街は単なる乗り継ぎ地点ではなく、旅の目的地のひとつになっていた。
ロンドン。40歳で戻った街
クアラルンプールから、マレーシア航空でロンドンへ飛んだ。40歳の誕生日を、9年ぶりに訪れたこの街で迎えるためだった。
誕生日の夜は、1798年創業のRulesを予約した。かつて生地を持ち込んでハンチングを誂えたLock & Co.、9年前にノーザンプトンで靴を買ったCrockett & Jones。その店構えの前にも、また立った。
9年前に見た街を、今回は違う旅の形で歩いていた。当時はスーツケースを引いていたが、今回はBillinghamとBradyの2つだけだった。荷物ひとつをとっても、9年という時間の分だけ旅の仕方は変わっていた。
プラハ。街そのものに時間が残る
ロンドン・ルートン空港からWizz Airでプラハへ入った。
世界遺産に指定された街並みを歩き、カレル橋からヴルタヴァ川越しにプラハ城を望む。宿泊したホテルは、かつて兵器庫だった建物で、廊下には深紅のカーペットと古地図が並んでいた。
夕暮れの街を歩き、川沿いの景色を眺める。クアラルンプール、ロンドンとはまったく違う時間の流れ方があった2泊だった。
ウィーン。予定を詰めない2泊
プラハからは、Omioで予約したFlixBusで陸路を移動した。国境を越えるという感覚も薄いまま、次の街へつながっていった。
決めていたのは、コンサートとベルヴェデーレ宮殿くらいだった。旧市街を歩き、シュテファン大聖堂を見上げ、ベルヴェデーレ宮殿の庭園から街を眺める。シュニッツェルを食べ、ザッハトルテも食べ比べた。
予定を詰め込まなかった分だけ、その場で歩く方向を変えられる時間が残っていた。2泊3日のウィーンは、次の予定より目の前の街を見る時間の方が長かった。
ベネチア。本島に泊まらないという選択
ウィーンからはAustrian Airlinesでベネチアへ入った。
本島には泊まらず、1泊目はヒルトン・ガーデン・イン・パドヴァ・シティセンター、2泊目はヒルトン・ガーデン・イン・ベニス・メストレを拠点にした。どちらも本島の外にあり、そこからベネチアへ向かった。
夕方の大運河をヴァポレットのデッキから眺め、三日月が浮かぶリアルト橋を渡る。車ではなく船で街を移動する感覚は、それまでの都市とはまるで違っていた。
そして、この2泊3日の最後には、バスで60ユーロの罰金を科せられる出来事も起きた。
バルセロナ。6都市目の終点
ベネチアからWizz Airでバルセロナへ。6カ国周遊、最後の街だった。
バルセロナでは1泊目と2泊目で別のヒルトン系列ホテルに泊まった。1泊目はハンプトン・バイ・ヒルトン・バルセロナ・フィラ・グラン・ビア、2泊目はホテル・ビア・サンツ・バルセロナ、タペストリー・コレクション・バイ・ヒルトン。
2泊の滞在を終えたあとの最後の夜はホテルを取らず、バルセロナ空港で朝を待った。翌朝、ITA Airwaysでバルセロナを発ち、ローマで乗り継いで羽田へ向かった。ローマではPriority Passでラウンジに入り、日本への帰路につく前の時間を過ごした。
都市と都市のあいだも、旅だった
この周遊をつないでいたのは、6つの街だけではない。飛行機、バス、鉄道、空港、ラウンジ。その間にある移動時間も、この旅の一部だった。
ルートを組む段階ではSkyscannerで航空券を比較し、プラハからウィーンへのFlixBusはOmioで予約した。
飛行機で一気に次の国へ移る区間もあれば、バスで陸路を進む区間もある。それぞれ違う移動を挟みながら、6つの街がひと続きの旅になっていった。
この旅を支えた、2つのバッグ

この旅の基本形は、Billingham CANVAS 305とBrady AVONの2つだった。都市間の移動ではBillinghamをメインの荷物として使い、街を歩くときはBradyに必要なものを入れる。
石畳の街、空港、鉄道、バス。移動手段が変わっても、この2つの役割は変わらなかった。スーツケースを持たずに6都市をつなげた背景には、荷物の量だけでなく、それぞれのバッグに役割があった。
Billingham CANVAS 305は現在廃番になっている。それでも、この旅で使った実物として記録には残しておきたい。
ホテルを、移動の合間の拠点にする
移動が重なるほど、宿で過ごす時間の意味も大きくなった。
ロンドンではThe Westminster London, Curio Collection by Hiltonに、ベネチアではHilton Garden Inn系列に泊まった。バルセロナでは1泊目と2泊目で別のヒルトン系列ホテルに泊まっている。6都市のうち、ロンドン、ベネチア、バルセロナの3都市でヒルトン系列を利用した。


ロンドンでは宿泊前に、The Westminster Londonの客室アップグレード通知が届いた。毎回保証されるものではないが、この旅でもヒルトン・オナーズのゴールドステータスが実際の滞在に作用した場面があった。
ベネチアでは本島外のHilton Garden Inn系列を拠点にした。バルセロナでは、1泊目と2泊目で異なるヒルトン系列ホテルを選んだ。同じ系列でもブランドや立地はそれぞれ違い、旅の中での役割も同じではなかった。
旅の途中で、予定外のことも起きる
旅を重ねても、予定外のことは起きる。ベネチアのバスで60ユーロの罰金を科せられたのも、そのひとつだった。
知っていれば防げた出来事だったからこそ、その経緯は別の記事として残している。
6つの街を歩き終えて
6カ国を回ったことそのものより、この旅を通じて、荷物の持ち方、ホテルの選び方、都市間の移動、街での過ごし方が少しずつ今の形へ整理されていったことの方が、後になって残った。
カードについても同じだ。この6カ国周遊では、現在と同じ4枚を使っていた。STAY・MOVE・PAY・CASHという4つの役割として整理して言葉にしたのは、この旅を経てからだった。
6つの街は、それぞれ独立した記憶として残っている。それでも一本の線としてつないでみると、荷物も、宿も、移動も、支払いも、少しずつ現在の旅の形へ近づいていった過程が見えてくる。
6カ国を歩いたからといって、旅の答えが出たわけではない。それでも、次にどこかの街を歩くときの土台は、この6都市のあいだにできていた。
旅の形は、一度で完成したわけではない。


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